還暦 あの時の祖父と同じ年になって思うこと

コラム

若さは羨ましい。

私はずっとおじいちゃん子だった。

60歳になった今も、祖父が隣にいるような気がする。

強かった祖父だが、歳には勝てず、最期は見送る間もなく他界してしまった。

そんな祖父と同じ年齢に近づくにつれ、思うことがある。

祖父との思い出

ライターをしていると、自分の内面をひっくり返すことが多い。

言葉、知識、経験。

使える言葉はないか、知識はあるか、読者を納得させられる経験はしているか。

そんな中、自分でも忘れていた経験や思い出を引っ張り出してしまうことがある。

今回の祖父との思い出もそのひとつだ。

大好きな祖父

祖父は軍人だった。

太平洋戦争に従軍し、シベリア抑留を経てどうにか日本に帰還できた人だった。

退役後は普通の農家のおじいちゃんとして、私と弟の面倒を見てくれた、温厚で物静かな人だった。

だが元軍人らしく、日々の日課は崩さない。

ルールは厳しく守らせるが、きちんとできた時は褒めることも忘れなかった。

周囲からの人望も厚く信頼されていた祖父は、私の中では強い自慢の祖父だった。

そんな祖父が脳梗塞をおこし、半身不随になったのは私が小学校6年生の時。

祖父の闘病生活の始まりだった。

当時、脳梗塞の治療はリハビリが中心。

半年の入院を経て帰ってきた祖父は、ひとりではトイレに行くこともままならず、常に祖母が付き添っていた。

祖父は自分の病状を、かなり厳しいものと理解していただろう。

それでも、日々のリハビリは欠かさず、一日1キロの散歩を自分に課していた。

少しずつでも一人で歩けるようにと努力を欠かさなかった。

杖をつきながら、一歩ずつ進む祖父の姿は、今でも頭の片隅に残っている。

どんな時も弱音を吐かない祖父だったが、こんな事を言ったことがある。

中学生だったある日、友達と遊びに行こうとした私を見て、祖父が「羨ましいな」とつぶやいた。

私は祖父の気持ちが分からず、思わずこう聞き返した。

「おじいちゃんだって、中学生だった頃があるでしょう?同じ年齢を生きてきたのに、どうして羨ましいの?」

すると祖父は

「年をとっても羨ましいものは羨ましいよ」と小さく笑った。

「ふーん。そんなものか。」

子供だった私は、さらりと流して遊びに出た。

祖父の気持ち、言葉の重さなど考えずに。

祖父の年齢に近づいて思う

祖父はその後、心不全で見送る間もなく他界してしまった。

74歳、今ならまだ若いと言われる歳だ。

そして、私は還暦を迎え、あの頃の祖父の年齢に近づいた。

私には孫がひとりいる。

私も同じように孫を羨ましいと思うだろうか?

若さやあふれるエネルギーを羨ましいと思うだろうか?

結果、やはり羨ましい。

あふれるエネルギーも、弾ける笑顔も、未来を見つめる瞳も。

全て羨ましい。

私にも、まだ少し未来が残されている。

ライターとして、やっていけるかは自分次第だが、若いライターさんを羨ましいと思うこともある。

60を過ぎてライターを目指す。

こんな私を祖父はどう見るだろうか?

まだ羨ましいと思うだろうか?

太平洋戦争を生き抜いた祖父に比べ、私の人生は平和で安定している。

自分で考え、未来を決めることもできる。

全ては、社会の礎を築いてくれた祖父たちのおかげだ。

私もいつか孫に思い出してもらえるだろうか?

いやいや、思い出してもらえるように頑張ろう。

今日も肩こりと戦いながら、パソコンに向かう。